昭和40年10月31日 夜の御理解
お互い、信心によって、真実の幸せを得たいと願うならば、何というても、言わば、どうしても、おぉ、「信心は日々の改まりが第一」と仰るのですから、日々の改まりの上にいよいよ焦点を置かなければならない。「信心は日々の改まりが第一」と。信心によって真実幸せを願うならば、改まりに本気にならなければできない。それは、あぁ、改まらんでも一生、やはり信心さして頂いて、また、御取次ぎを願っては、またお参りしては、確かに、あの、おかげ頂いておるけれども、それでは信心によって真実幸せになるということはできん。めぐりのおとり払いを頂かなければ真実幸せを感じられないんです、第一、ね。安心のおかげは受けられないです。どうでもひとつおかげ受けなければならない。
★私は午前中、今日、ある方の御取次ぎさせて頂いたら、私、御心眼に、ちょうど、おぉ、子守りの姿で、赤ん坊をおんぶしておる姿を頂いた。そしたらその、おんぶしておる赤ん坊が、何かだんだんこう下へずれ下がったように、な感じで拝ましてもらいよったら、それが完全にですね、石になってしまっておるところを頂いた。実に哀れな話だと思うんです。実に、いー、めぐりの、おぉ、実体というか、こういうようなものだということを教えて下さったんですね。
もう、その方は神様の期待もある、一生懸命信心の稽古もなさっておられる。「改まらにゃ」というふうに、その、自分でも思うておられるのですけれども、なかなかふんぎりがつかんし、改まれない。お互いがですね、大なり小なり、身のめぐり家のめぐり、いわゆる運命の赤ん坊というものを銘々が背負っておるのです、それが銘々が感じる難儀なんです、ね。いわゆる運命の赤ん坊を、だからこの運命の赤ん坊がです、改まりによって、だんだんその、育って行く、信心によって育っていく時です、この運命の赤ん坊、この難儀と思うておったそれがです、今度はその親を見てくれるようになる、溶け始める。
だから、めぐりのおとり払いを頂いた、すぐさあ、もう幸せになるということはないです。ね。それがだんだんこう、ちょうど育っていくようなもの。改まりということによって、改まりという過程を与えることによってです、この運命の赤ん坊が大きくなって、親の手をとらんようになる、そして、親を見てくれるようになるような道理。ところが、この運命の赤ん坊を背負っておる、重さがあるんですね。それがだんだんだんだん、もの言わんようになる。石になてしまう、ね。
そして、その難儀がだんだん、背負いにくくなって、育つどころではない、重うなってしまう。一生この重たい石をからい、背負い、そして、あの世までもその、赤ん坊、赤ん坊じゃないその石を、重荷を持って行かなきゃならんということになるわけです。何かその、その、何ちゅうですか、本当にあの、まあ深刻な、ひとつの難儀を感じるですね、そういうような場合、ね。
本人もめぐりの自覚に立って、「本当に改まらな」とこう言うておるのですから、本気でひとつ改まらして頂いて、ね、運命のそれぞれの、おぉ、赤ん坊を、本当に見事に改まるということによってひとつ育てさしてもろうて、ね、そのめぐりのおかげで、そのめぐりのおかげでそれが私を賄うてくれる、親を賄うてくれるようなおかげを頂いた時に、本当に、気楽に安楽というか、いわゆる安心のおかげは頂かれるのです、ね。
なるほど、教祖の神様も信心は日々の改まりが、もう「信心は日々の改まりが第一」と仰るのでございますから、改まるということによって、いわゆるこの運命の赤ん坊を、言わばめぐりのおとり払いを頂くということは、そのめぐりの赤ん坊をお役に立つように育てるということ。これを改まらずにただ一生からい続けておるということは、それはちょうど石になったようなものを一生背負うておるようなわけだということを、そのことから、まあそんなふうに説明を頂いたような気がするんです、私、御心眼頂いてからね。
どうでもひとつ、本気で改まらして頂き、本気で脱皮さして頂くところのおかげ、もちろん、その脱皮というてもです、ことにきりがないことではありますもんね。私共、改まったからもうこれでええがちゅっと、そうではない。また次の、言わば脱皮があることはあるのですけれども、その一切れ一切れに、おかげの段階というものが変わってくるんですね。
言わば、今朝の御理解で言うならば、そのお徳というものがです、ね、こういう、うー、川魚の、まあふな子ぐらいなもんから、ふなのような、または鯉のような大きな徳にこう、進展していくようなおかげにもなってくるんだとうふうに思うのですね。どうぞ、ひとつ本気、もう本気でそのことに取り組んでね、あの、脱皮さして頂いたらです、あのう、人間が、いわゆる、何と言うんですか、本当にあの人が変わんなさったというのは、それだと思うですね。うん。もう本当にどうしてあげん変わられたもんじゃろうかというごたる、ひとつ変わり方。これはもう脱皮です。もうその、それが将来育って、あなたを見るようになるのですからね、おかげ頂かなければなりません。